リアルとモデルの線引きについて

 こんにちは、おっくーです。年末年始とは打って変わって少し忙しくてあまりこちらに顔を出せませんでした。リアルが充実してるのかもしれません。実質リア充。最近部屋の模様替えをしてかなり納得のいくものが出来たので一人でブチ上がっているのですが、お家のwifiとの接続が悪くてデスクトップpcが置物になりかけてます・・。そこでポケットwifiを買おうかなと思っているのですが、少しばかり痛手になりそうですね。そもそもTexに起こしたり時たまアニメ見たりしかしないのでそれで十分かなと思っているのでこれらのことって全部iPadでできちゃうんですよね〜。ブログも書けますしデスクトップpcは東方でもやりたくなったときに起動しましょうかねー。

 

 雑談はこの辺にしといて本題に入ります。今回はタイトルの通り「モデル」と「リアル」の線引きについて小一時間考えてみたいと思います。

 

 ある日Twitterを眺めていたら電子の形についてどう思うかのアンケートが流れてきました。選択肢としては「有限の広がりを持つ」「点である」「ひもである」「その他」の4択でした。この答えとして今の私が出せるのは「電子は実験結果に合わせるためのモデルに過ぎないのだから、実験結果との整合性を取れる限り好き勝手に仮定してよい」ということです。磁性の相転移などを説明するのに使われるIsing modelなどもこのような立場をとっていると聞いた覚えがあります。もちろんこの回答は電子の「実在」性を無視した回答になります。しかし、電子を「リアル」としてではなく、「モデル」として考えるならばこのような回答が許されるはずです。そもそも電子の「実在」が決定づけられているものなのでしょうか。何をもって「実在」とするのでしょうか。

 

 まずは「実在」について考えてみましょう。まずあなたはあなた自身を「実在」しているとみなすことはできますか?この答えはYESとしましょう。この仮定がなければ「実在」について語れないと思います。これを「自己認識の仮定」と呼びましょう。この仮定によりあなたは自分の実在性を認めざるを得ません。次にあなたに備わっている「感覚」、ここでは視覚や聴覚などの言葉を指しましょう。あなた自身の感覚の「実在」も認めることにしましょう。すると、あなたの身の回りにある椅子、スマホ、聴き慣れた音楽など幅広い対象が「実在」することになります。そして「実在」の記憶も仮定に入れましょう。これは一度感覚を介して「実在」を認めた対象を感覚を介していないときでもその対象の「実在」を認めることです。これのおかげで一度「実在」したとすればその後もずっと「実在」したと言えます。まとめると「実在」を認識するとは

・自己認識の仮定

・自己感覚による対象の「実在」性認識の仮定

・「実在」の記憶

の3条件を満たすことを要請することにします。感覚については後ほど議論します。

 

 次に電子を「実在」するとみなすにはどうすればいいかということですが、これは感覚を介して電子を知ればいいのです。「ある対象を感覚を介して認識する」ということの困難さが電子の「実在」を有耶無耶にしてしまっています。・・と、お腹が空いたので今日はここまでにします。

 

 「モデル」と「リアル」の線引きについて直接言及できていませんでしたが次回は「感覚を介して対象を認識する」ということをより深く掘り下げて「モデル」などにたどり着けたらいいなと考えています。それでは、